悶々
さいきんは、考えなくてもいいことをたくさん考えて、死亡している毎日です。
いろんなことがどうでもよくなって、どんどん生活が堕落していって、なんというか、わたしはきっといつ死んでも良いのです。
ほかの人たちはそういうことを考えないのかな。考えても、普段の仕事やら学校やらには支障がでない人たちはきっといて、そういう人たちは自分の気持ちをどう整理しているんだろう。
がんばらなきゃ!と思えば思うほど、自分にプレッシャーが掛かっていく気がします。
ぜったい、しなきゃいけないことがあって、それすらもできなくなる、じゃなくて、しなくなるかもしれない。
絶対に、それじゃいけないのです。
そのことは、親にも迷惑が掛かっていて、しなくなったらさらに迷惑をかける
絶対にしなきゃいけないし、わたし自身も、したい、と思っていること。
自分の馬鹿さ愚かさが、にくい
何にもされてないのに、ひとりで考えてしまう
毎日が目まぐるしく去っていくような暮らしだったら、こんなことを考える暇もないのでしょうか
うだうだ
ふと死にたくなります
でも、未練しかないので、生きています
でも、だらだらと時を過ごしているとき、わたしは死んでいるのだと思います
自分にとことん甘い自分は、なぜできてしまったのか、と思う時があります
自分に厳しくあれる人に、なりたかった
わたしは、使い物にはならないけど自分のいいところを知っています
だけど、欠点ばかりだということもまた、知っています
わたしは自分に諦めてしまったのか
わたしはほんの少しの長所に縋り甘えているのか
わたしはいま、何を考えているのか、よくわかりません
ただ、生きていたくて、夢を叶えたくて、たくさんのことを知りたいと思っています
ちゃんと考えがあるではないか、と思えるけれど、わたしは考えているだけなのです
いや、動けよ、と思います
のちのち、どれだけ後悔するか、実感はできないけれど少しはわかります
きっと、あのとき、ほんとうに真面目に勉強やら読書やらいろんなことをしておけばよかったと思うのでしょう
わたしの考えに足りないこととは、なんなのでしょうか
わたしは、わかりません
ただ、体力不足で集中が途切れてしまうのか
心の奥底にくすぶるいやな感情が、真面目に何かをすることをさまたげているのか
いや、そんな難しく考える必要はなくて、きっと今やるべきことがちゃんとあるのだから、ただ単に、やればよいのだと思う。そうも、思うのです
だけどわたしはいつまでも、ぼーっとしているのです。
これからぐんとやる気が出てきたら、絶対に、間に合う。だけどこのままだったら、何も為せぬまままた無駄で不幸な生活を送ることになる
今やるべきことも、そのあとやるべきことも、自分が幸せを感じるのは何に対してなのかもわかっていて、今も、その考えには迷いがない。
だから、決めたことをとにかくやればいいのだと思う
なのに、どうしてわたしはやろうとしないのだろう。
こういう気分の時は、やっても続かない
だけどそんな気分屋じゃ、きっとこれまたのちのちの後悔につながる。
がんばれーーーーーわたしーーーーーー
どうにかこうにか、やり始めるしかないのだと、思います
だから、うん、頑張ります
頑張ってください、わたし……。ほんとうに。
旅、とか
こんばんは。
もう、夏です。暑いです。ぐだります、ばてます。
けれども、空は綺麗に晴れていて気持ちがいい。
わたしは、冷たい風を部屋で浴びてから外に出た時のむっとした暑さが好きです。ほっと落ち着くし、じんわり汗をかくことも、気持ちがいいです。
ただ、今年になって体力ががくんと落ちたので熱中症などの対策は怠らないようにしないと、すぐ死にそうです。
けれど、もっと、たくさんのところに行きたい。
たくさんのことを感じたい。
旅っていいですよね。わたしはたくさん経験したわけではありませんが、数少ない旅の思い出は面白いことだらけだったような気がします。
最近行った沖縄は、飛行機の中から楽しかったし、都会では見られない生き生きとした大きな雲に感動しました。
たくさんの経験をしてみたいのですが、旅以外ならば、竪琴を、弾いてみたいです。以前習っていたピアノも、いまは下手くそなので上手に弾けるようになりたい。それと、マンドリンでジブリの風立ちぬの「旅路」を弾いてみたい。
想像は、限りがないからどんな自分も想像できてしまって、恐ろしくもあります。
旅だったり楽器の演奏ならば、できないこともないと思いますけれど…
でも、お金持ちの自分は、全く想像できなくて、想像できないままになってしまったら、何かを経験することはできなくなってしまう。したいことの時間が取れなくなってしまう。お金にすべてを縛られている自分って、なんだか、哀れ、だとも、思ってしまいます。
せっかくこの世に生まれたので、死ぬまでにあぁわたし今めちゃめちゃ幸せだ!!!っていうのを感じてみたいものです。
大人が読んだらそんな夢物語ないぞと言われそうな、そんなことばかり考えている私は、将来どうなるのでしょう。どうするのでしょう。
楽しみは後にとっておかねばならないから、今が頑張りどきなはずです。
がんばります。
おやすみなさい。
獣の奏者
久しぶりの更新になっちゃいました。
昨日までに、獣の奏者を完結編まで読みました。
人と生き物の関係性や、エリンの生涯、家族、あのラスト。
最後の方を読んでいる時には、闘蛇編や王獣編の幼くて純粋で、ひたすらに王獣と向き合っていたエリンを思い出しました。
それを思い出すたびに、あの子がなぜこんなにも苦しい道を歩まねばならなかったのか、と悲しくなります。
けれど、エリンは最後に、ちゃんと、幼い頃の思いを成し遂げた。また、何年も過ぎたら同じような事が起こってしまうかもしれないけれど、エリンのしたことはほんとうに素晴らしかったな、と思います。
今わたしが思っていることが、うまく言葉にならないことが痒いのですが、とにかくこの物語に出会えてよかったな、と思います。
もしこの物語が世に送り出される前に生きて死んでいたら、わたしは、この物語から得られるたくさんのことを知らずに死んでいたかもしれない。
話はそれていきますが、これから先、もっともっとたくさんの素晴らしい物語が世に送り出されていくのだろうと思いますが、わたしは世界にあるほんの一部分の物語しか知らずに死んでいくのでしょう。わたしが死んでからもいくつもの物語が生まれていく。それがわたしはくやしい。くやしいからこそ、わたしは今知ることのできる最大限を取り込みたいと思う。
いろんな人間が、「人の一生は短い」と言います。その中で何を為せるのか、わたしはやってみたい。わたしのやりたいことで、もし、できるだけ多くの人にそれを知ってもらえたら、それはものすごく嬉しいことだろうな、と思います。
その夢をなせている人がいる事実を知りつつ、甘えず、わたしは進んでいきたいです。
難しい事を考えようとしても、脳みそが未熟すぎてうまくまとめられません。
はやくシワが増えますように。
おやすみなさい。
宇宙と太陽
こんにちは。
昨夜も更新しようと思っていたのですが、これからお話することのために、できませんでした。
病院で診断されたとおり、ずっとただの肥満だと思っていました。
わたしたち家族のアイドルのような存在である、犬の♀と♂。メスを先に飼っていたのですが、彼女の子供を見たくて数年後、もう一匹、わたしたちの家族になりました。
なかなか実ることはなく、現状でも充分幸せだったのでわたしは半ば諦めていました。食欲がないのにおなかが膨らんできたのを見て、もしかして、と病院に行ったものの肥満だと診断されました。
今思うと、その頃にはもうおなかにいたのだと思います。
やっぱりお腹にいるのでは、と思ったときもありましたが、病院にはいきませんでした。
昨日の朝、母は私の部屋に来て、「出かけるけどもしかしたら赤ちゃんが生まれるかもしれないから様子を見ていて」と言って出かけて行き、家には私一人と犬2匹。
赤ちゃんがいそうだな、と思いつつも、まだ、もしかしたら肥満かも。とも思っていました。
一応産箱を作ってみると入ってくれたので安心。それとともにやはり妊婦さんではないか、とも思えてくる。
ちょこちょこ様子を見て本を読んでいました。
気がついたら、産箱に敷いていたタオルに血が付いていたのです。嫌な感じがしました。そっと犬やタオルをどかしてみると、足が噛みちぎられた、本当に小さな子が生まれていたのです。
体重は65g。かなり小さいです。この倍あってもいいくらい、ものすごく小さかった。瞬間的にダメかも、と思ってしまった。
その後すぐに一匹目よりも小さいもう一匹が生まれ、わたしは二匹と母犬をつれて動物病院に駆け込みました。
たくさん説明を聞きました。難しいかもしれない、という言葉を何度も聞きました。二匹は弱っているものの生きていましたが、母犬は興奮しっぱなしで母性が目覚めない。安楽死、という言葉も聞こえました。
結局、二匹ともうちに連れて帰り、世話をすることにしました。
時間が経つにつれて明らかに弱っていくのがわかりました。
母犬は何を思っているのかひたすら舐めていて、冷えていくのが分かって母犬から取り上げ二時間ごとのミルクと排泄時に近づけましたが赤ちゃんの方が乳を吸わない。母犬が排泄を促さない。
二匹目は、23時頃。足のない一匹目は確か4時頃でした。
こんなに悲しいのは、久しぶりでした。生きることはこんなにも難しいのか。これが自然ということか。一日も、生きていられなかった。
けれど、母犬が元気なままで帰って来れたことがほんとうに良かったです。
さっき、庭に穴を掘り埋葬しました。
考える時間が少なくて、本当に申し訳なかったけれど、
一匹目が太陽で、二匹目が空。
どちらも父犬と同じ柄がおでこのあたりにあって、ものすごく可愛い子たちです。
つむられたままの目は、どんな色だったのかな。とか、どんな毛並みでどんな色だったのかな。とか、どんな性格をしていたのかな。とか。
母犬の方がもう若くはないことや、また繰り返される可能性を考えて、次の妊娠はさせないことにしました。
でも、わたしはきっと、大人になってどうにか一人暮らしやら二人暮らしやらを始めたら、またパピヨンを飼いそうな気がします。だって、パピヨンって世界一かわいいから。(笑)
二匹が天国で安らかに眠れますように。
Netflix火花お題「夢と挫折」
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夢をつぶやく。(はじめまして)
気ままに書きます。
書きたい時に書きます。
夢をもっています。
はじめまして、栗花落(仮)です。
好きなものは物語と紫陽花と景色とおでかけと妄想です。
具体的に言うと、小説は「精霊の守り人」「タラダンカン」「NO.6」「鹿の王」「美しい村」「風立ちぬ」「シャーロックホームズ」
映画は「レ・ミゼラブル」「風立ちぬ」、ジブリ、名探偵コナン、ガンダム
ドラマ「精霊の守り人」
アニメ「NO.6」「十二国記」、ガンダム(1st、Z、ZZ)、名探偵コナン
などなど
特に、「タラダンカン」フランスの作家さんによるファンタジーなのですが、わたしの転機となった物語です。
いまはお勉強と妄想と気だるさに追われながらすごしています
自由さが逆に恐ろしい日々です
好きなことを綴る、これ、しあわせです。だからブログを始めました。
けれども、あまり書きすぎると情熱が吸い取られ満足してしまうので、ほどほどに。
夢のために生きているわたしを、見てください。わたしは夢を現実にします。
わたしは自分の夢が大好き。わたしは自分が嫌いだけど、夢を持つ自分は好きだ。
わたしはなるまで死なない。そんな情熱をもちつつ、寝ます
雨音に寝かしつけられそう
コメント歓迎します。趣味が合う方、夢をもっている方、なんとなくコメントしてみたくなった方、ぜひぜひ。
おやすみなさい